Deisyちゃんの一年の歩みが届きました! | 世界とつながるお手紙交流

Deisyちゃんの一年の歩みが届きました!

おととい、待ちに待った、Deysiちゃんの一年のあゆみが届きましたラブラブ
ドキドキして封を開けました。

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笑顔で元気いっぱいで本当に可愛いラブラブニコニコ

お母さんにしがみついているのも可愛いですつながるうさぎカナヘイハート

前は夜に寒そうな様子が伝わってくる写真でしが、今回は明るい時間帯に撮られていて、写真も前より鮮明で、元気に暮らしている存在感が伝わってきて良かったです。

3才と4才で、手足も伸びて、こんなにも変わるんですねー。
成長の経過も見てみたかったな。ぜひ会いに行きたいなー。

スペイン語に訳す過程もあり、なかなか手紙のお返事が来ない中、この一年どうしているのだろうと思っていたら、この写真で一気に存在感が伝わりましたニコニコラブラブ
 
こちらは活動地域の報告書です。活動地域の子ども達が作成し、ボランティアが翻訳した手作り感もあるものになっています。



この地域では、先住民の生活、知恵を取り入れながら、発展していって欲しいと願っていたのですが、今年の現地事務局長のメッセージにそのようなことが書かれていました。
 
“インカ文化を受け継ぐ人々の伝統的な知識を理解しつつ、彼らが直面している社会経済の格差を減らすための相互学び合いに乗り出しました。”とあって、報告内容もそれが反映されているようなところがいくつもあり、とても嬉しくなりました。



土器を造っているような写真もありますね。アンデス文明は、紀元前1000年ぐらい前から起こっていて、日本の文化ととっても似通ったところがあるんです。遺伝子的にも日本人と共通しています。
 
鉄器が無い時代だったのに、カミソリ一つ通さないように造る技術が不思議なことで有名なインカの石組みは、大地震が起きてもびくともせず、スペインがインカの宗教施設や神殿を破壊した後に建築したものは全て大地震で倒壊しても、石組みだけは残るので、当時のスペイン人は石組みだけは破壊しないよう命じたほどです。
 
去年の活動地域の紹介では、主な問題点と支援内容が説明されていました。

マチュピチュに行った時の、観光で訪れただけでは想像できなかった社会問題があることが分かりました。


授業をスペイン語だけでなされていたのを、先住民の母語であるケチュア語で行うことで理解を深められるようにしたり、国の教材が地域の実情とに合っていなかったものを、合ったものに変えたりしています。
ケチュア語は、現在のエクアドルから、ペルー、ボリビア、チリに至るまでのインカ帝国公用語でもあったのです。
 
このような活動がなされていることを嬉しく思います。先住民系の人々が高い水準の教育が受けられるようになることを望みます。
 
先住民の人達は、働き者で、日々、農業以外の時間はいろいろな日用品を、とても丁寧に、丈夫に手作りしています。
 
厳しいアンデス環境を生き抜き、驚くべき文明を繁栄させたのはこのような生活スタイルそのものなのだそうです。
実際行って見ても、そこかしこで山積みにして売られている、本当にデザインも良く丈夫な伝統的な手作り品が、ただ同然のような値段で売られていました。
 
製品にして売って、お金に代える、という感覚が、自分達の築いてきたインカ帝国の繁栄とは無縁なものであり、気にもしていないで貫いている、そういう民族性なのかと感じ取れました。
 
インカの道でエクアドルからチリまで、駅を造り、人伝えで3日で情報伝達出来たという、驚くべき統治、技術が発展したインカ帝国では、お金、年貢ではなく、労働税という仕組みがあり、障害を持っていても、何かしらの役割を与え、全員がやりがいを感じることで成り立っていたのだそうです。
インカ帝国の首都であった、クスコで働く先住民の女性などを見てみると、一見、とても貧しくて客引きで座りこんでいて、ビジネスとは無縁そうに見えても、頼んでみると、とてもしっかりして、時間も早く、てきぱきと自ら何でもしてくれて、驚いたりしました。
 
そのためか、近年まで、先住民を貧困のままにしておきたい、支配勢力のスペイン系の政策そのままになってしまっているように思えました。
 
スペイン征服者は、インカ帝国王アタワルパを騙し討ちして殺害した後は、統治の秘訣を知る技術者は皆殺しにしていまいました。インカで一番重要視されていた宗教の風習を少しでも残す住民は徹底的に処罰されました。
近年までは、先住民には、教育水準を低くさせるように意図的にしたりしていたそうです。
 
今でも解明不能な、サイフォンの法則を利用したと見られる水を引いた遺跡、街全体が宗教的意味を持つプーマの形をしていて、実験農場の遺跡があり、広大な街なのに解明出来ていない何キロにも渡る地下道で結ばれているなど、インカ帝国の繁栄を築いた、働き者であるインカの末裔の人々が、高い教育水準になれば、必ず発展し、世界にも誇る人達が出てくるのではないか、と、インカの文明を見ると確信していまうほどです。旅行中出会った日本人も皆そう言っていました。
 
お隣のボリビアでは、初の先住民系の大統領になってから、貧困率が何十パーセントも減り、それまでは先住民の女性がメイドとして街中にいたのがいなくなり、中産階級に届くぐらいの人口が大幅に増え、様変わりしています。
大統領が先住民系に代わるだけで何十年越しになっていた問題が数年で解決したんですね。
 
ペルーは、フジモリ大統領の時、唯一、先住民の状況が改善し、今でも先住民の人々には人気なのですが、後の政府になってから、教科書などでネガティヴに書かれてしまったりしているようです。
これからのペルーもボリビアのように格差が改善されることを願っています。