世界とつながるお手紙交流 -5ページ目

Deysiちゃんに初めての手紙を送りました

今日、初めて、Deysiちゃんに“はじめまして”の手紙を送りました!
プランジャパンの用意してある、プロフィールと一緒に入っていたかわいらしい自己紹介シートに、マチュピチュで撮った写真を貼り付けて完成させました。



自己紹介の欄を埋めて、先月ペルーを旅行し、マチュピチュを訪れた事、インカ帝国についての本を読み、そこの文化が大好きになりファンになったことを書きました。

古来からの素晴らしい先住民の文化を誇りに思って欲しいなあー。

キティーちゃんが着物を着ているカレンダーのカードと、キャラクターのハンカチも贈りました。



このカレンダーカードは、必ず渡したいと思っていました。毎月、着物の色や柄が変わって、本当に可愛いです。日本の伝統衣装である着物の紹介と、新年の挨拶、いつも思っています、というメッセージを裏側に書きました。

アンデス山脈の中で暮らしている村へ、早く届いて手渡されるのを楽しみにしていますニコニコ
こんなご縁があって良かったです音譜

アフガン、パキスタンでM7.5のニュース

プランジャパンのチャイルドが決まった、と紹介している最中に、テレビでCNNチャンネルをつけていたら、プランパキスタンの緊急支援スタッフが、先ほど起こった、アフガン北東部のM7.5の地震についてずっとレポートしているではありませんか。すごいタイミング。
パキスタンが大きな被害であることはもちろん、インドでも大きく揺れたようです。

パキスタン、チャイルドの候補として考えていた地域です。
私の支援金も、交流チャイルドの地域以外にも全ての活動地域に使われるので、プランパキスタンのプロジェクトにも関係あるのです。

パキスタン、アフガニスタンでの緊急支援が多くなされますように。

プランジャパンのチャイルドが決まりました!

先日、プランジャパンのチャイルドに、ペルーの女の子Deysiちゃんが決まりました!

Deysi chan Deysi chan 3


チャイルドの地域であるクスコは、素晴らしい文明のあったインカ帝国の首都であったところです。マチュピチュもこの近くにあるんですよ。先月、聖なるインカの谷と一緒に旅行してきました。

AndesDeysi


まだ3歳で、とてもかわいいです。

お母さんといるとちょっとリラックスしているようです。

日干しレンガで造った壁、こけら葺き屋根と土間で出来た家に住んでいる、農家の子です。
家族は薪を使って調理しています。

この地域を訪れましたが、夜はとっても寒いです。ジャンパーを着ていますが、その寒さを思い出します。美しくも厳しいアンデスの自然の中で、素晴らしい文明で古来から適応してきた住民達、頑張れ~!

お母さんが持っている緑色の布、一人で映る写真の後ろに置いてますね。ピンクのジャンパーと映えて、アンデスらしい優れた色彩感覚ようにも思えてしまう。

この服装は、町で出掛ける時のための、一番おしゃれな服なのかな・・?なんて思います。

ここ何年間もずっと、児童労働や過酷な状況にある指定された地域の子ども達への募金であるマンスリーサポーターと、女の子の権利と健やかな成長のためのBecause I am a girl プロジェクトの継続支援を続けていました。

最近、やっぱり、スポンサー制度の募金でも多方面で同様な支援に使われていると思い、ほとんど変わらない金額の募金をしているなら、せっかくだからチャイルドの交流もしてみようと思い、スポンサーに切り替えてみました。

これまで、支援先の中ではエジプトやパキスタンをずっと選ぼうと思っていたんですが、最近ペルー、ボリビアを旅行したのを機に、本などでどんどん素晴らしい文明、文化であることを知ってから興味を持ち、アンデス方面もとても気になっていました。特に、アンデス文明の本を読めば読むほど、文明を築いたアンデスの先住民を応援したくなりました。

支援先候補をいくつか挙げた結果、ペルーにご縁があり、決まりました。でも、この地域はまだ未知なことが多くってわくわくします音譜

Deysiちゃんは、急性呼吸器感染症にかかり、保健所で治療を受け、現在は回復しているそうです。
プランの支援で助かっていたのなら嬉しい限りです。

私が大好きになったアンデスの風を、届けてくれて嬉しいです。

これから、この子とどんな交流が出来るのか、わくわくドキドキですラブラブニコニコ

九人の乙女の像を知っていますか?

私は北海道が大好きで、年に1回は必ず訪れています。

今回は、利尻島、礼文島に行ってみたい!とかねてから思っていたので、稚内まで行き、そこから見えている利尻、礼文に船で渡りました。稚内には日本最北端の宗谷岬があり、そこに続く丘陵地には全国で一番多くの風力発電が50機以上あり、それはそれは壮大で、とても美しかったです。

そこよりも稚内市中心のすぐ側にあるノシャップ岬で、初めて「殉職九人の乙女の碑」を見て、真岡郵便電信局事件のことを知り、とてもショックでした。
ソ連の軍事侵攻による本当に悲しい、悲しい出来事があり、何千人もの民間人が亡くなったのです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E5%B1%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

アメリカとの終戦直後、樺太にソ連軍が攻めて来た時、女性やお年寄りを先に避難させていたのですが、樺太と北海道の連絡を結ぶ電話交換師だけは必要でした。そのため意思のある人を募集したところ、まだ10代、20代の女性が志願したんです。

樺太に残った乙女達は、もう、ソ連が侵攻してきて自分達の建物にも着弾した頃、

”みなさん、これが最後です。さようなら。さようなら。”

という言葉を遺して、自ら青酸カリを飲んで集団自殺しました。

ソ連軍兵になにをされるか分からないからです。
気づいた男性職員達は慌てて止めさせようと駆け付けたけれど、既に亡くなってしまっていました。

実際、ソ連軍は満州侵攻から女性、幼い少女までをターゲットとして暴行殺人の限りを尽くした。その時でも首をつって自殺した女性も大勢います。それを知っての事だったんでしょう。

ソ連兵による集団強姦虐殺の一例 Wikipeia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A6%E5%8C%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6


日ソ中立条約を違反して、満州侵攻後、樺太にまで軍事侵攻、北海道侵略を探っていたソ連は、樺太から稚内への民間人の避難船を全て撃沈することが目的の戦略だったのです。実際に、民間人が避難した船は全て撃沈されました。本当に酷い。避難した方々何千人も亡くなりました。

樺太の戦い Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1945%E5%B9%B4)

これら犠牲者を慰霊する碑は観光名所宗谷岬すらそれらしいものがほぼないのがすごく不思議。

戦後も戦争に関わる碑等が、何かとソ連により反ソ連的だと反発されてきましたから、平和を祈るシンボルのようなものしかありません。それにはロシア語でもしっかり書いてあります。

日本は本当に、一番犠牲者数、その国民人口に占める割合が膨大であり、一番平和を望む気持ちが強かったからなのだと思います。

でも、これではこのような事実があった場所であるにも関わらず、日本人ですら知らないままになってしまいます。私も実際そうで、一つの碑だけがずっと心に残ったため後で帰宅してからWikiなどで調べ、ここに載せるに至ったんですね。

ちなみに、大韓航空撃墜慰霊碑はソ連が撃ち落とした事件で日本は関係ない事件なのですが、位置が近いからということらしく、宗谷岬の観光名所に一番大きく存在していました。

(世界各国の資金で建てられた平和を祈る鐘と同じ敷地のような場所でその真横という一番目立つ位置です。)


ソ連軍の強姦・殺戮 (かなり残虐なものです)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/Stalin.html

軍事侵攻の際、ソ連軍が日本人の女性や幼い少女をくまなく探していた時、韓国系の住民はここにいる、と密告し続けたりもしました。考えただけでもおぞましい・・・。

ソ連軍はドイツでも強姦が酷かった。ソ連はドイツ軍によるソ連での強姦被害があったのを知り、今度は何も関係ないのに復讐を日本人に向けたようなのです。

終戦後、条約にも国際法にも違反しての侵略行為のために、満州でも30万人の民間人が犠牲になりました。

樺太からの軍事侵攻も、当時は守るために必死だったことでしょう。本当に悲劇です。

とにかく、この事実の詳細を知っている日本人も少ないと思うし、日本最北端の宗谷岬にこそ、もっと記憶するための慰霊碑などがあれば良いと思うと同時に、このような悲劇を経験したからこそ、悲願の平和を望むために、ソ連側から反ソ連的だと言われては譲歩するなど、本当に平和主義を貫いているんだな、と心から実感出来た経験でした。

パキスタンの女の子のための教育プロジェクト Because I am a Girl

Because I am a Girl Project とは、チャイルドスポンサーで知られているプランジャパンの始めた、国連に承認されたプロジェクトです。
http://www.plan-japan.org/girl/

電車の広告などで、可愛いインドの女の子の写真と共に、

13歳で結婚、14歳で出産、
恋は、まだ知らない

というフレーズがとても印象的なアピールがされていますね。

信じられないようだけど、本当に、南アジアで、中東で、アフリカで、信じられないくらい大勢がこんなめに遭っているのです。子ども時代から人生がめちゃめちゃにされています。この深刻さは暗澹たるものです。

女の子だから、10代で結婚させられる。
女の子だから、学校に行かせてもらえない。
女の子だから、生まれてさえこられないこともある。
女の子だから、泣きたいときに泣くことも、
笑いたいときに笑うことも、怒りたいときに怒ることもできない。

もしも、この文章が間違っているように感じたら、
この世界の間違いを、まずは知ってください。

Because I am a Girl(女の子だから)
その後に来る言葉は、私たちの力で変えられる未来です

私はこのプロジェクトに毎月募金しています。

今は、パキスタンの女子教育と、スーダンの女の子の早すぎる結婚を無くすプロジェクトです。http://www.plan-japan.org/girl/join/

どちらもとても重要なのでプロジェクトを選ばず両方を指定しています。

そのうちの一つが、私が一番訪れたいと思っている、パキスタンの一番美しいヒマラヤ山脈の地域で行われることになりとても嬉しいです。
その地域のフンザはとも美しい桃源郷と言われていて、最近、観光地として訪れる人もとても多くなっています。

人々も優しく、パキスタンの中では男女とも識字率が高いと言われています。だけど、この活動地域では全く違うようで驚きました。

“ギルギット・バルティスタン州は、部族文化と男性の宗教指導者の影響が強い父権社会です。女子の就学率は20%ほどで、成人女性の識字率はわずか2%。主にコーランを教えるイスラム女子学校が唯一の女子教育の場となっています。公用語(ウルドゥー語)の読み書きや基礎科目を学べないことも、大きな問題です。”

中間報告では、イスラム宗教指導者や地域を時間をかけて説得、女性教師を見つけ、公用語のウルドゥー語、算数、英語を勉強できるようになったそうです。

http://www.plan-japan.org/girl/news/131219.html

こういう方法で成功するのはすごいと思います。女の子はコーランを学ぶ学校しかなかった。女性の識字率はなんと、たったの2%。字も読めないまま、読み書きを一切教えず、コーランを暗記させイスラムの教えを守らせるだけ。いろいろこの地域を訪れたことがあり、イスラム社会が好きな私でも、この地域社会に詳しい分、それって家政婦奴隷教育??と思えてしまいます。

8時から12時までコーランを学びその後で1、2時間、公用語や算数、英語が学べるように。
それでも4時間もコーランなのか・・。

これからはさらに衛生施設の充実などもしていくそうです。

私はこの大好きな地域の女の子の地位改善のための、このプロジェクトが終わるまでは絶対寄付を続けるつもりです・・!