世界とつながるお手紙交流 -9ページ目

静かなジェノサイド イラクへの経済制裁、戦争による医療不足

本当にショックな情報でした。とても素晴らしい講演会だったと思います。


湾岸戦争、今回のイラク戦争で米英軍が使用した劣化ウラン弾によって、白血病やがんになった子ども達の写真が紹介され、本当に可愛くて可愛くてたまらないような子、元気そうに笑顔で写ってる子がどんどん紹介されるのですが、その全てが亡くなってしまった子どもなのです。


前から知ってはいましたが、こんなにたくさんの子ども達がどんどん亡くなっているんだ、という事実に本当に本当に強いショックを感じました。


バスラでは、89年では5%だったのが、91年では9.2%にも増えました。バグダッドだけしか放射線治療は出来ないのだそうです。

治療には輸血などバックアップが必要なのに、これまでの経済制裁、戦争でインフラが極端に不足しているのです。


小児がんの患者は、たいてい症状がひどくなってから来るので、70-80%が1年以内に亡くなってしまいます。

今の医療では、本来なら、80%が治る病気なのです。経済制裁、イラクの医療情報輸入の禁止のせいで、正反対の数字となってしまいました。


以前、知ってものすごくショックだった、劣化ウラン弾によって生まれた奇形児の数は、湾岸戦争前の90年は1000人あたり3人だったのが、今では22.19人となっています。


本当に、こんなめにあわせる兵器を使ったことに、強い憤りを感じるのみでした。


しかし、未だにアメリカはこの小児がんの増加が劣化ウラン弾によるものと認めていません。米軍帰還兵にも、膨大な数の人が湾岸戦争症候群という、白血病やがんの症状や奇形児が見られています。

しかし、米軍は、これらの膨大な数の帰還兵の資料を全て抹消してしまいました。


医薬品、全ての設備が不足していること、そのためにほんの少しのお金、物で命が続けられる子ども達が、本当にすぐにどんどん亡くなってしまっていることに圧巻されました。


新生児用の保育器が欠乏していて、酸素ボンベは輸入が禁止されていたため医療用のものではなく、工場用のものをつなぎ合わせて代用して使用し、数が少ないため何人もの赤ちゃんを入れ、(本来感染症にも良くないと分かっていながら)保育器が足りないので代わりに綿でくるんで体温を保存するなどしています。


こういった状況なので、本来助かる新生児はどんどん亡くなって行き、保育器は本来“命を救う箱”と言われているが、“死の箱”となっているというのです


バスラでやっている小児科病院(小児がん専用)では、1年に3万人の患者がいますが、ベッドが2つしかないそうです。


点滴や輸血が必要な患者が、1つのベッドに寝ることなど出来ず、何人も座らせながら4,5時間もじっとさせられています。


5歳以下の小児がんは、90年に比べ、2003年では3~4倍にまで増えているそうです。


イラクは、湾岸戦争前は、中東で最も近代化していて、医療は中東でも一番進んだ国でした。

日本の普通の商社や大企業などが、イラクにたくさん駐在し、まさにこの2人の医師の病院のある場所、バスラの病院で、日本の子どもが出産されたりしていました。

それほど安全な医療だったのです。


私の兄の友達も、湾岸戦争前まで、イラクに住んでいました。とっても美しい街に、ズボンスーツ姿の美しい女性がとてもセンスの良いビルの立ち並ぶ街の通りを闊歩しているのが普通の光景でした。


イラクは、当時も今も、石油生産世界第二位のリッチな国なのです。しかし、アメリカの戦争によって、その全ての資源が持っていかれているだけなのです。


ところが、湾岸戦争後、91年からアメリカと国連による経済制裁が決定され、新しい医療情報をイラクに提供することが禁止されたのです。

13年間もイラクの医学は全く置き去りにされました。そのため、70年代、80年代の医学の教育をするのみとならざるを得なかったのです。


湾岸戦争前までは、医療は全て無料で行っていましたが、経済制裁以降は以前と比べ、国の医療費が90%も削減されてしまいました。


消毒薬も、化学兵器に転換するだろうと言われ、輸入禁止になったため、病院は死体を保存するための消毒薬すらなく、死体置き場のようになっている状態でした。

子どもたちも、手術につかう麻酔がないため、術後の痛みに泣き叫んでいる写真もありました。医師はつらそうに説明していました。

日本人一人当たり200ドル使っているところ、今のイラクでは一人当たりたったの4ドルという違いです。


普通、医療設備と医学の質というのは、比例しているのに、イラクだけが、質の良い教育、医学の医者であるのに対し、全く医療設備がないという不釣合いな状況なのです。


こうすればこの子どもの命を救える、と分かっていながらも、綿や注射針、ほんの少しの額の薬がないために、どんどん子どもが亡くなっていく、という状況に、ずっと付き合ってきたイラクの医師は、一体どれほどの悲しみを見たのだろうか。


この医師のおばさんは、たったの300円の抗生物質がないだけで亡くなってしまいました。

こんなことで多くの命が失われているのです。


会場で、「マスコミやテレビでは、よく武装グループを残虐だとか卑劣だとかいうが、どう考えてもこれは静かなジェノサイド、虐殺だ。」

と言われた方がいましたが、本当に、子どもたちに襲い掛かる虐殺そのものだと思います。

感染症もひどく、イラク戦争によって栄養失調率が高くなり、免疫力が低下し、英米軍の街の破壊により多くの人々がちゃんとした家に住めなくなったため、環境の悪化により感染症が広まっているのです。


この医師は、感染症の患者がいると思われて患者が来なくなってしまうことを避けるため、マスクをしていません。


最後に、このお2人の医師と、スタッフの方々と一緒に、レバノン料理のお食事に行きました。

いつも、この情報を聞くたびに、心がとっても沈むのですが、こんなにも多くの子ども達、患者さんたちの治療をし、死を見続けている彼らが、本当に私には尊敬などということを超えた目で見てしまいます。


それなのに、彼らは全く暗い深刻な表情などではなく、とても賢そうな目ですが、笑い、冗談を言う気さくな方達だったのです。

イラク人はとっても陽気で戦争直前でも、「大変だよ。でも、どうしようっていうんだい?」と、とても陽気だったと聞きましたが、本当にそういう愛すべき気質であると感じました。


アラブ人の良さが見受けられた経験でした。


そして、本当に、私の出来る限り、このイラクの子ども達を救うための医療支援を多くの人に広めたいと思いました。


これまで、毎月何としてでも5000円は寄付しようと、かなり苦しい思いをして一人でやってきましたが、これからは、Jim-Net の展示会などを、地元の図書館などで開催し、募金を集めるなどしていきたいと思いました。





イラク人の医師から広島・長崎へ祈りのメッセージ

8月9日、長崎原爆の日に、バグダッドのA医師より次のような
メールが届いたそうです。

親愛なる友人へ

広島と長崎の原爆60周年を期に、私はあなた方のことを
思い出しています。
そして、地球上のすべての人々の安全と平和を願い、
あなた方にご挨拶をお送りします。
日本イラク医療支援ネットワークのブログ より

イラク人医師が語る 「マスコミでは決して報道されないイラクの真実」 (8月14日 東京)

JIM-NET(立ち上げ人:前JVCイラク担当 佐藤真紀)が講演会を主催されます。

もうすでに今日・・・!!だけど、会場のカタログハウスへ問い合わせてみたところ、まだ大丈夫とのことでしたので行きたいと思います。

皆さんもぜひ、まだ間に合いますのでいらして下さい・・・!!!

お問い合わせは 電 話:0120(545)450

現在、日本各地で好評上演中のドキュメンタリー映画「Little Birds」を制作したジャーナリスト綿井健陽氏と3月から長崎大学で被曝医療について研修中のイドリース医師、モハメド医師が、マスメディアでは報道されないイラクについて語ります。

綿井健陽氏は、最近イラクのサマワに入っていました。最新のイラク情報も聞くことができます。
 イドリース医師には、イラクの地理、人口、政治、経済、歴史、教育、医療といった項目で、イラクの基礎的な情報をいくつかの写真を交えながら、イラク戦争前のイラクの姿を軸としてお話ししていただきます。
 モハメド医師には、イラク戦争によってイラクはどう変わっていったのかをお話ししていただきます。機能しなくなった医療の問題、不足が続く薬品の問題、とくに傷ついた子どもたちの治療の問題など、主に病院の様子、そして劣化ウラン弾についての概要説明、劣化ウラン弾が関連していると思われる疾病の発生状況(イラクでは、湾岸戦争後、小児癌、急性白血病、奇形が増えている)をグラフにして分析してくださることになっています。

日付 2005年8月14日(日)
時間 13:00会場 16:30終了
会場 カタログハウス 地下2階セミナーホール
東京都渋谷区代々木2-12-2
会場への
アクセス
新宿駅南口より徒歩7分
地図はこちら
参加費 500円(参加費は全てJIM-NETをとおしてイラク医療支援に役立てられます)

(e-mail) info-jim@jim-net.net
詳細 講演会の詳細は、こちら をご覧ください。

ナガサキの出来事を演じたパレスチナの子ども達

prettyIraqiChildren   


この前、JVCのパレスチナチームで、活動に関するビデオを見た。


その中で、ナガサキの出来事を演じたパレスチナの子ども達の劇を見て、本当にすごくすごく、感動しものすごい涙ものだった。


イラクの劣化ウラン弾廃絶キャンペーンをも立ち上げた、JVCイラク担当の佐藤真紀さん(私の最も尊敬している目標となる人)が数年前に、長崎市と協力を取り付け、活動地域のパレスチナの子ども達に、長崎での原爆について語ったそうです。


そのことを聞いたパレスチナの子ども達が、すっごい長時間に渡る劇を自分達で作り上げたのです。選曲は、坂本龍一の“戦場のメリークリスマス”でした。(途中坂本龍一さんのメッセージが入ってました)



占領下で、友人や親戚の死というものが毎日ある中暮らしているパレスチナに子ども達にとって、この長崎の人々の原爆に直面した話はとても切実に感じたのだろうと、本当に察することが出来ました。


劇では、舞台には1つの絵があり、一般の家が並び、その一番後ろに原爆のきのこ雲が描かれています。それだけのシンプルな舞台設定であるのに、パレスチナの子ども達の演じるこの劇は、本当に本当に何よりも原爆の現実味が感じられ、涙が出るものです。


始め、子ども達は着物を着ています。ゆったりとしているその衣装はアラブの衣装に通じるものを感じました。それぞれ風車やあめやおもちゃを持ってそれぞれ入り乱れて飛び跳ねたり握手をしたり、笑顔でいます。

なんだか、ゆったりとした、人間味あふれるアラブの感じが日本と一体となった感じもしました。

ずっと通して踊りながら演じています。


その次に、突然空襲警報のような白黒の光が演出され、人々が逃げ惑うように演じます。


そして、一気に真っ赤な光になり、皆一斉に倒れ伏せます。


その時の倒れた子の顔つきが、本当に、悲しみ、苦しみを感じさせます。ただ、倒れる役をやっている、というものではなく、本当に実感しているのです。日々のパレスチナの攻撃下で犠牲になった子ども達を思わせます。


その後、真っ白なアラブの衣装のような服で、ゆっくりと立ち上がっていきます。本当に本当に、悲しみに溢れた場面になります。

家族を探しながらよたよたと嘆き悲しむ様子が本当に伝わってきます。


そして皆、ろうそくを持ち、本当に悲しみに溢れた神妙な様子で立ち上がります。そして、歌は、アラブの歌でレクイエムのような形になります。


本当に、すごく長い時間の劇だそうです。ビデオではかなり省いた展開の部分だけを見ました。この劇は本当に、原爆の被害についての詳細等より、ずっとずっと、人間を感じさせ、涙がどんどん出てくるものです。


日本の皆に、ぜひぜひこのパレスチナの子ども達が演じたナガサキの劇を、広めて見て欲しい!!と強く思いました。


これが行われた背景に、イスラエルが核兵器を開発したことからの平和教育という目的があります。

しかし、ボランティアでパレスチナに向かった方の帰りの飛行機で、こういう劇があったと隣に座ったドイツ人との会話の中で語ったら、そのドイツ人は、すごく怒ったそうです。「どうして、日々こんなに戦争の苦しい悲しみを知っている占領下のパレスチナの子ども達にこんな悲しい思いをさせる劇ををさせるのか。それをさせるのならイスラエルの子どもにだろう。」と言って怒ったそうです。


確かに、核兵器を開発したのはイスラエルであって、その使用の悲劇性を伝えるのなら、やはりイスラエル人に対してでしょう。


でも、この悲劇を本当に本当に最も理解してくれるのは、世界中で、パレスチナの人々であるのも確かだと思います。


この劇の演じられた丁度直後、この地域はイスラエル軍に何度もものすごい激しい攻撃を受けてしまいます。

この時はまだこうなるとは思っていなかった、とボランティアチームの方は言っていました。


パレスチナの人々は、嫌というほど、平和を望んでいます。それでも攻撃にあってしまう彼らの日常を思わせられます。


イスラエルの核開発について、告発した、イスラエル人のバヌヌさんという方がいます。核開発をばらした、という罪で捕らえられ、ずっと尋問されていました。

今も、監禁状態が続いています。

バヌヌさんに対して、日本では広島、京都、東京などで関心を持って支援活動している人々がいます。

バヌヌさんについては前からずっと書きたいと思っていたのですが、また今度丁寧に書こうと思います。

今言われている、イランの核開発、というものは、イスラエルの直接の影響です。

そもそも、イラクには大量破壊兵器はなかったし、イランも濃縮ウランを実際核兵器に使うなどというのもでっちあげの可能性が大だそうです。

イランは、イスラエルに核兵器を使わせないように、監視しようとする意図を持っています。それに対し、イスラエルはものすごい反発をしています。


イスラエルは核開発に使った放射性廃棄物をパレスチナ領内に廃棄しているそうです。


でも国際社会は、アメリカ(ユダヤ系資本によって成り立っていて民主党も共和党もイスラエルに媚びている)

がイスラエルを容認している中、全くそういった情報がないため、イランに対してのみ信用しない、という立場になっています。パレスチナに全面的に同情した国家イラクに関してもでした。


またイランを攻撃するのでしょうか。

とてもおかしいと思います。




ハニーンちゃんが米軍の劣化ウラン弾による白血病で亡くなる

memorialhanin 写真;母親に数字の”2”の書き方を教わっているハニーン。今年3月。


ハニーンちゃんが米軍の劣化ウラン弾による白血病で先日亡くなりました。

このような犠牲はもうこれで最後になって欲しいと強く思います。

日本イラク医療支援ネットワーク http://www.doblog.com/weblog/myblog/18838 のブログからの情報です。


少しでも多くの方にこのハニーンちゃんの冥福を祈って欲しく、このような境遇の多くのイラクの子ども達に思いを馳せてもらいたく、そしてイラクの子ども達のための援助をして頂きたく、こちらにも載せさせて頂きたいと思いました。


米軍が90年の湾岸戦争と今回使った劣化ウラン弾についてはたかやまさちこさんのHPのリンク集や彼女の日記などhttp://www.mable.ne.jp/~alfalfal/iraq/dekiru.html でよく紹介されていますのでどうぞご覧ください。

劣化ウラン廃絶キャンペーン   http://www.cadu-jp.org/  もおすすめです。私のJVCのパレスチナボランティアチームで時々お会いするイラク担当スタッフ佐藤真紀さんがつくった団体です!

転送です

バスラへ帰郷中のイブラヒム先生より、ハニーンが亡くなったとの連絡がありました。3度目の再発で医学的に打つ手がなく、アンマンのキングフセインがんセンターでの治療を諦め、4月下旬にイラクに帰っていました。5月23日ナジャフの病院で死亡されたようです。


5歳でした。



初めて彼女に会ったのは今年の3月。イブラヒム先生の院外学級を始めるときでした。2度手術を行い、現在化学療法中と聞いて「あと、3ヶ月から半年」と思いました。医者は残酷です。
そう思いながらもハニーンに対しても院外学級を始めました。現実的な未来がない彼女に「教育」を施しました。無駄な行為だったでしょうか?

病弱虚弱児への教育というものは実利的でないという批判があります。未来のない子供へ未来を前提とした教育を行っても無駄だ、という理論です。本当にそうでしょうか?

少なくとも学んでいた瞬間、彼女は実際には経験することのできない自分の未来を感じることができていた、そう思います。それだけでも意味がある。そう思います。


井下 俊


なぜハニーンちゃんは亡くならなくてはならなかったのでしょうか。


まだまだこのような多くのイラクの子ども達がいます。


本来なら今日では80%が治る病気だというのに、米軍の真っ先に標的にした病院、古文書館、文化施設、医師、知識人への空爆で(米資本を受け入れないフセイン体制に二度と戻らないように。)もともと米国から経済制裁されていた医薬品が極端に不足しているためこのようなことになってしまっています。


家族は家財を売り払ってなんとか子どもを助けようとしています。お金のない家庭ではなすすべもない状況です。


イラクの子ども達のための医療支援を行っている団体は数少ないですが、JVC(日本国際ボランティアセンター) http://www.ngo-jvc.net/  や日本イラク医療支援ネットワークhttp://www.doblog.com/weblog/myblog/18838 、セイブ・イラクチルドレン http://www.iraq-c.gr.jp/index2.htm があります。


皆さん、どうか支援を必要としているイラクの子ども達のために募金をよろしくお願い致します。