世界とつながるお手紙交流 -2ページ目

Deysiちゃんから写真付きの手紙が届きました!


Deysiちゃんから1年以上ぶりに手紙が届いた、と思ったら、写真付きで本当に嬉しい手紙でした。

なんと、1年の間に私の送った手紙やギフトが一度に届いたようで、受け取った時の写真と、私が最初に送ったクレヨンを手に取り、絵を描いている写真まで送ってくれました。

その写真で描いた絵が付いているというものです。






こういうのは初めてで、自分が送った物がちゃんと写真で見れて本当に、最高に嬉しい報告でした
現地の様子が分かる写真が届くと本当に嬉しいです。

よく見ると、私の送ったキキララのビニールカバンがお母さんの手元にあるんです。

手紙には、送ったものすべての報告と、可愛いプレゼントをありがとうございます。とても嬉しいです。ぜひ会いに来てください。といった内容が書かれています。

私がいくつもの手紙で質問した答えも書かれていました。

好きな色はピンクで、Cubiaというコロンビアで盛んなダンスらしいものが好きで、マスの揚げた食べ物が好きだそうです。

最近すごく激動のような忙しさの中なのですが、出来るだけ早く返信したいものです。

Sbreenちゃんの一年の歩みが届きました!

Sabreenちゃんの一年の歩みが届きました!








少しお姉さんになった感じかな。相変わらず美人ですやはり以前は着ていなかったスカーフをするようになったばかりみたいです。
プランのスクールカバンを持っています。
女の子がなかなか学校に行けない地域の中でちゃんと通えているんだなと、ちょっと安心。

好きな科目は理科だそうです。理系だなんて素晴らしい☆

ぜひぜひ、将来は首都カラチの大学まで行って、理系を活かした仕事に就いてほしいなぁー。と夢がふくらみます。

去年病気を患いましたが、治療を受けて現在は元気にしているそうです。

病気の時期があったんですね。治療を受けられて回復して本当に良かったです。

全員、きれいなドレッシーな服を着て写真を撮ってくれてます。妹ちゃんも手足がのびましたね。

後ろの壁に描かれている絵がすごく気になります…。なぜ微妙に目つきの悪いキリンと連れて歩いている(?)男の人なんだろう?
自宅の前で撮影とあるので家の壁のはずだけど、家族で描いたのかな?

アルファベットはAREAと書いてあるようです。

これは、会いに行って確かめるしかないですね☆






報告書には、スクールバックを支給された女子生徒達の写真がありました。

学校に通えない12〜19歳の女の子600人を支援し9〜10年生を修了したことや、2011年に洪水の被害に遭った学校の再建や生後病気にかかり障害を持った女の子を支援し文字を覚えられるようになった話などが書かれていました。

パキスタンのチャイルドにしようと思った最大の理由は、極端に低い女の子の就学率の支援の応援をしたかったからです。マララさんの本にも影響されました。

パキスタンは男女平均でも識字率が55%しかなく、ずっとこの割合は10年以上変わってません。女の子の識字率はずっと低くなります。

それなのに、なぜか義務教育制度がないのです。経済的に余裕がない国でも、せめて義務教育にすることが国民に一番必要なことで、優秀な人材の可能性を伸ばすことが国の発展につながるのに。

パキスタンはすごく腐敗した政治体制だそうです。
この地域の地主も識字率が低いので人々が学校に行き教育を受けるのを嫌がると以前の報告書に書かれていました。

報告書では若者グループを作り、演劇などを通じて、政府に義務教育を受ける権利、無償化の条例案の署名を集め、粘り強い活動の結果、政府が草案を作成することになったと書かれています。

これが通れば公立学校は無料になるのだそうです。2013年の条例案とあるのですが、草案になり、もうすぐ通るのでしょうか。

パキスタンの国の政府のトップが早く義務教育制度を作り、全土で無償化すれば良いのになと思います。

パキスタンでは歴史も独立以前のものは教えていないそうで、北部地域の仏教遺跡が中国との開発による道路工事で破壊されても気づかなかったり、治安の問題も関係してモヘンジョダロ遺跡の保存が出来ずに崩壊しつつあったり、教育関連が一番重要課題なのではと思います。

パキスタンの中でも識字率や教育、医療設備が極端に低いこの活動地域で、先進的と言える様々なケアがなされているのが分かり、今後もどんどん規模も大きく広まってほしいと思います。


Deysi ちゃんへスペイン語で手紙



Deisyちゃんの一年の歩みが届きました!

おととい、待ちに待った、Deysiちゃんの一年のあゆみが届きましたラブラブ
ドキドキして封を開けました。

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笑顔で元気いっぱいで本当に可愛いラブラブニコニコ

お母さんにしがみついているのも可愛いですつながるうさぎカナヘイハート

前は夜に寒そうな様子が伝わってくる写真でしが、今回は明るい時間帯に撮られていて、写真も前より鮮明で、元気に暮らしている存在感が伝わってきて良かったです。

3才と4才で、手足も伸びて、こんなにも変わるんですねー。
成長の経過も見てみたかったな。ぜひ会いに行きたいなー。

スペイン語に訳す過程もあり、なかなか手紙のお返事が来ない中、この一年どうしているのだろうと思っていたら、この写真で一気に存在感が伝わりましたニコニコラブラブ
 
こちらは活動地域の報告書です。活動地域の子ども達が作成し、ボランティアが翻訳した手作り感もあるものになっています。



この地域では、先住民の生活、知恵を取り入れながら、発展していって欲しいと願っていたのですが、今年の現地事務局長のメッセージにそのようなことが書かれていました。
 
“インカ文化を受け継ぐ人々の伝統的な知識を理解しつつ、彼らが直面している社会経済の格差を減らすための相互学び合いに乗り出しました。”とあって、報告内容もそれが反映されているようなところがいくつもあり、とても嬉しくなりました。



土器を造っているような写真もありますね。アンデス文明は、紀元前1000年ぐらい前から起こっていて、日本の文化ととっても似通ったところがあるんです。遺伝子的にも日本人と共通しています。
 
鉄器が無い時代だったのに、カミソリ一つ通さないように造る技術が不思議なことで有名なインカの石組みは、大地震が起きてもびくともせず、スペインがインカの宗教施設や神殿を破壊した後に建築したものは全て大地震で倒壊しても、石組みだけは残るので、当時のスペイン人は石組みだけは破壊しないよう命じたほどです。
 
去年の活動地域の紹介では、主な問題点と支援内容が説明されていました。

マチュピチュに行った時の、観光で訪れただけでは想像できなかった社会問題があることが分かりました。


授業をスペイン語だけでなされていたのを、先住民の母語であるケチュア語で行うことで理解を深められるようにしたり、国の教材が地域の実情とに合っていなかったものを、合ったものに変えたりしています。
ケチュア語は、現在のエクアドルから、ペルー、ボリビア、チリに至るまでのインカ帝国公用語でもあったのです。
 
このような活動がなされていることを嬉しく思います。先住民系の人々が高い水準の教育が受けられるようになることを望みます。
 
先住民の人達は、働き者で、日々、農業以外の時間はいろいろな日用品を、とても丁寧に、丈夫に手作りしています。
 
厳しいアンデス環境を生き抜き、驚くべき文明を繁栄させたのはこのような生活スタイルそのものなのだそうです。
実際行って見ても、そこかしこで山積みにして売られている、本当にデザインも良く丈夫な伝統的な手作り品が、ただ同然のような値段で売られていました。
 
製品にして売って、お金に代える、という感覚が、自分達の築いてきたインカ帝国の繁栄とは無縁なものであり、気にもしていないで貫いている、そういう民族性なのかと感じ取れました。
 
インカの道でエクアドルからチリまで、駅を造り、人伝えで3日で情報伝達出来たという、驚くべき統治、技術が発展したインカ帝国では、お金、年貢ではなく、労働税という仕組みがあり、障害を持っていても、何かしらの役割を与え、全員がやりがいを感じることで成り立っていたのだそうです。
インカ帝国の首都であった、クスコで働く先住民の女性などを見てみると、一見、とても貧しくて客引きで座りこんでいて、ビジネスとは無縁そうに見えても、頼んでみると、とてもしっかりして、時間も早く、てきぱきと自ら何でもしてくれて、驚いたりしました。
 
そのためか、近年まで、先住民を貧困のままにしておきたい、支配勢力のスペイン系の政策そのままになってしまっているように思えました。
 
スペイン征服者は、インカ帝国王アタワルパを騙し討ちして殺害した後は、統治の秘訣を知る技術者は皆殺しにしていまいました。インカで一番重要視されていた宗教の風習を少しでも残す住民は徹底的に処罰されました。
近年までは、先住民には、教育水準を低くさせるように意図的にしたりしていたそうです。
 
今でも解明不能な、サイフォンの法則を利用したと見られる水を引いた遺跡、街全体が宗教的意味を持つプーマの形をしていて、実験農場の遺跡があり、広大な街なのに解明出来ていない何キロにも渡る地下道で結ばれているなど、インカ帝国の繁栄を築いた、働き者であるインカの末裔の人々が、高い教育水準になれば、必ず発展し、世界にも誇る人達が出てくるのではないか、と、インカの文明を見ると確信していまうほどです。旅行中出会った日本人も皆そう言っていました。
 
お隣のボリビアでは、初の先住民系の大統領になってから、貧困率が何十パーセントも減り、それまでは先住民の女性がメイドとして街中にいたのがいなくなり、中産階級に届くぐらいの人口が大幅に増え、様変わりしています。
大統領が先住民系に代わるだけで何十年越しになっていた問題が数年で解決したんですね。
 
ペルーは、フジモリ大統領の時、唯一、先住民の状況が改善し、今でも先住民の人々には人気なのですが、後の政府になってから、教科書などでネガティヴに書かれてしまったりしているようです。
これからのペルーもボリビアのように格差が改善されることを願っています。








 

Sabreen ちゃんへ手紙を出しました